2020年4月24日金曜日

恋におちてしまった人

こんばんは。
南城 凛(みじょう りん)です。
今宵も凛のりんりんらいぶらり~でごゆっくりおくつろぎくださいませ。(^o^)

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

あなたは、恋をしていますか。
夢中になるほどの恋をしていますか。

愛と恋は違うといわれます。
どのように違うのでしょうか。

まずは、愛について考えてみましょう。
愛とはかけがえのないものですね。
確かに様々な愛情があります。
男女の愛、親子の愛、それから隣人愛、人類愛のような大きな心もその世界でしょう。
人間だけでなく、ペットなどの動物に対する愛もあります。
時には略奪愛などの激情もあるでしょう。
時間をかけて育むもの、それが愛でしょうか。

次に、恋について考えましょう。
恋は、愛とは違った感情を示すものではありますまいか。
ある日、突然に、心を独占してしまうもの、誰にも止められないもの、それが恋というものではないでしょうか。
狂わしいほど、身を焦がすほど、人生を変えてしまうほどの恋とは、一体どれほどのものなのでしょうか。

恋におちて、これまでの人生ががらりと一変してしまうこともあるでしょう。
それがわかっていたとしても、最早どうしようもなく、レールに乗って進んでいくしか道はありません。
たとえ周囲の人たちに迷惑をかけても、あるいは周囲の人たちが心配をしても、本人にはわからないし、わかったとしても、なす術もなく進んでいくのでしょう。

本人が幸せであると感じている感情、それは「恋」という名前をもった魔物がとりついているのかもしれません。
理性では抑えられず、平穏な暮らしを捨ててまで進もうとします。
ジェットコースターに乗ってしまったような、それも良しとする感情、止めるにも止められない、どうしようもない感情、それが恋でしょうか。

凛には、愛や恋について、理路整然と説明できるほどの体験はありません。(^-^;
しかし、文学を通して、人生そのものを変えてしまった一人の男性の壮絶な「恋」を体験することができます。

ねじめ正一氏の『荒地の恋』(文春文庫、2010年)は、詩人たちの同人誌『荒地』のメンバーである北村太郎氏が、同じメンバーの詩人、田村隆一氏の妻である明子さんに恋におちてしまう実話をもとにした恋愛小説です。(以下、敬称略します。)

朝日新聞社の校閲部に勤務し、安定した生活を営んで妻と家族を養い、定年後の生活設計も見えていた53歳の北村太郎に、まさか突然の恋が訪れようとは、一体誰が予想したでしょうか。
彼は、途中で我にかえることがあっても、もう他にどうしようもなく、明子との恋におちてゆきます。
田村隆一と妻の明子との微妙な関係も、距離感に緊張がみられます。

北村太郎の生活は一体どこまでおちてゆくのでしょうか。
それは周囲が勝手に思っているだけであって、本人は幸せであったかもしれません。
1989年、『高円寺純情商店街』(新潮社、1989年、のち1992年に新潮文庫)で直木賞受賞☆彡作家となったねじめ正一氏の力量が、ぐんぐんと読者をひきつけます。

生活の安定を捨ててまで、熱情をもって生き抜いてきた自身の全てを包み込んで紡ぎ出された言葉が、北村氏の詩文集『すてきな人生』(思潮社、1993年)所収の「八月の林」として作中に掲載されていて、「北村太郎」という詩人の魔力には圧倒されます。
鮎川信夫をはじめとする「荒地派」の詩人たちの情景も背後にあり、当時の複雑な人間関係が垣間みられます。

この小説は、2007年、文藝春秋から単行本として発行され、2008年、第3回中央公論文芸賞☆彡を受賞しています。
文庫本には、巻末に映画監督の西川美和氏の解説文が掲載されています。
短いながらも北村太郎と田村隆一の関係や、ねじめ正一氏の作品に対する評価が凝縮されていて、こちらもおすすめです。

今、恋をしているあなたには、本気でその方と恋におちる覚悟があるでしょうか。
恋におちてしまった大人の男性の生き様に寄り添い、ときには突き放すなどして、ハラハラ、ドキドキしながら読みすすんでいくのも読書の醍醐味でもありますよ。

北村太郎氏は双子として生まれました。
顔はそっくりでも、それぞれに違う人生を歩むものであるのだなと、当たり前のことに気づかされた凛でした。(^o^)

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(日本語)文庫-2010/7/9ねじめ正一(著)
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