2023年1月28日土曜日

えぐり、えぐられて ~井上荒野『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版、2019年、のち朝日文庫、2022年)~

こんばんは。南城 凛(みじょう りん)です。
今宵も凛のりんりんらいぶらり~にようこそお越しくださりまして、ありがとうございます。
どうぞごゆっくりとおくつろぎくださいませ。(^-^)

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「鬼は~外、福は~内」
2月3日は節分ですね。

あなたは節分に豆まきをされますか。
凛は毎年豆まきをしています。
今年も鬼のお面が入った豆を準備していますよ~

「大豆は香ばしくて美味しいなあ」と毎年思っています。
一年経つごとにお口に入れる大豆の数が増えていくことよりも、大豆の美味しさのほうが気になる凛です。(#^^#)
何はともあれ、今年も家内安全、無病息災を願って豆まきをします!

鬼は怖いもの。
凛は極力鬼とは関わり合いたくないですねえ。(>_<)
中には怖いもの見たさで、鬼と出合いたいもいらっしゃるかもしれません。
あなたはいかがですか。

今回は、題名に「鬼」がつく小説をご紹介します。
井上荒野氏の長編小説『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版、2019年、のち朝日文庫、2021年)です。

この作品は、朝日新聞出版の季刊誌『小説トリッパー』の2016年冬号~2018年秋号まで連載された後に単行本化、さらに文庫化されました。
映画化されて2022年11月11日より公開されています。

井上荒野(いのうえ あれの)氏の父親である井上光晴(いのうえ みつはる)氏と、瀬戸内寂聴(せとうち じゃくちょう)氏得度する前の瀬戸内晴美(せとうち はるみ)氏時代からの不倫関係が基になって創作された小説です。

小説家同士の不倫を、井上光晴氏の妻の視点、瀬戸内氏の視点で描くという形をとっていますが、井上氏の娘である荒野氏の目線で描いているという、幾重にも絡んだ複雑な構造に読者が対峙することになります。

鬼は鬼でも、日本の昔話に出てくるような鬼さんとは違います。
「えーい、悪い子は食ってしまうぞ!」というような鬼さんではありません。
人の心の奥底の誰も踏み入れることのできない深いところに潜んでいるもの……。
ある意味において、最も怖~い鬼ではないでしょうか。ひゃあ……。(-_-;)

凛が持っている文庫本は、2022年5月20日付の第6刷です。
近所の書店で購入しました。

まずは、文庫本の帯と表紙からご紹介いたします。
凛が持っている第6刷では、裾まで長い黒い服をまとった女性が背中をこちらに向けて跪いて、両手をあげて踊るようなポーズをとっている絵になっています。

カバーの装幀は、芥 陽子(あくた ようこ)氏です。
カバーの装画は、Nikoleta Sekulovic氏です。


文庫本の帯の表紙側は、廣木隆一(ひろき りゅういち)監督による映画化の紹介になっています。
出演者の寺島しのぶ(てらしま しのぶ)さん、豊川悦司(とよかわ えつし)さん、広末涼子(ひろすえ りょうこ)さんの三人の顔写真が載っています。

また、瀬戸内寂聴氏からのメッセージ、「作者の父 井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。」(同帯)と明記されています。
不倫関係は事実だった、と瀬戸内氏ご本人が証言されているのですね。

帯の裏表紙側には、作家・川上弘美(かわかみ ひろみ)氏による文庫本の解説から抜粋されて掲載されています。
「本書は、『井上光晴の妻』『瀬戸内寂聴』という二人の内面のみを描くことを目的にした小説ではない。」(同帯)
読者にとって最も気になる部分をずばり指摘されて、なるほどなあと納得できます。

つまりどういうことかというと、父親と不倫を重ねた女性作家との関係と、二人を見つめる母親の愛憎と葛藤を描くにあたり、作家である井上荒野氏自身と、両親との娘としての視点をどのように絡めて小説に表したのだろうか、という疑問が読者に容赦なく迫ってくるのです。
要するに、小説家であるけれど、実の娘として父親の不倫を描くことは苦しくないのだろうか、と一般読者として凛は率直に思うわけなのですよ。(-_-;)
荒野氏は作家としてどのように乗り越えて作品に仕上げたのでしょう。

帯には川上氏の解説の続きが載っており、「実際の父母とはことなるかれらを描くことは、実際の父母と重なってみえる誰かを描くことよりも、『本物』のかれらを表現することになるのだろうし、(以下、省略)。」(同帯)

文庫本の裏表紙には、「至高の情愛に終わりはあるのか?」と掲載されています。
映画化に伴って最新販売の文庫本の表紙や帯が変わっているようですので何卒ご了承くださいませ。

次に、内容に入ります。
作品は、帯による瀬戸内寂聴氏の言葉で示されているように、実在の作家たちの実際の不倫を基にした愛憎劇です。

井上光晴氏と想定できる白木篤郎(しらき あつろう)という男性と、瀬戸内晴美氏と想定できる長内みはる(おさない みはる)という女性との出会いが「Chaputer1 1966 春」という章に、「みはる」の視点で描かれています。
白木の徳島での講演旅行に随行するみはるの着物姿を、阿波浄瑠璃の二体の人形はどのような面持ちで見下ろしていたのでしょうか。

二人の出逢いには、白木の切り札ともいえる「トランプ」が出てきます。
白木によるみはるの今後の仕事についてのトランプ占いの結果は……。
このときの占いの結果について、当時暮らしていた真二(しんじ)に聞かれたとき、みはるは「本当のことは言わなかった。」(文庫本、21頁)という表現から、明らかにみはるの心は既に決まっていることがわかります。
白木とみはる、二人の関係は長年にわたります。

同じ「Chaputer1 1966 春」には、白木の妻の笙子(しょうこ)の視点で描かれてもいます。
幼稚園に通う海里(かいり)ちゃんの子育て中で、お手伝いのヤエさんも交えながら、作家の妻として家庭を守る主婦を務めています。
この海里ちゃんが後の井上荒野氏になります。
 
笙子には二人目の子どもができ、白木との出会いから結婚に至るまでを振り返っています。
文机で白木の助手を担いながら、創作もします。
作家という目線で、笙子の内面はどのように膨らんでいくのでしょうか。

白木にはみはるとの関係だけではなく、様々な女性たちとの関係が消えては現われます。
それらのことが豪快であるのか、逆に繊細なのかは凛にはわかりませんが、白木という一人の男の生き様が重くもあり、哀しくはかなげな印象すらいたします。

そして、長内みはるは得度して、長内寂光(おさない じゃくこう)になり、誰もが知る著名人となりました。
彼女が得度するに至るには、深い理由がありました。

やがて海里は成長し、小説の新人賞を受賞します。
寂光は優しいまなざしで海里を見つめます。
白木は病に侵されることになりますが……。

文庫本の解説は「訣別」という題名で、川上弘美氏が綴っています。
作家の視点から読者の疑問について、丁寧に解説されていますので、是非お読みくださいね。
同名の映画は凛はまだ観ていませんが、必ず観たいですね~ (^○^)

作者の井上荒野氏については、「昭和歌謡と恋愛模様」(ココ)の項でご紹介していますので、今回は省略させていただきますね。
彼女の作品にふれる度に素晴らしい作家であることを認識させられる凛です。

まとめ。
白木篤郎と長内みはるの不倫から生じた白木の妻の笙子との複雑な関係を、白木の娘の海里が成長して作家・井上荒野として小説に描いていることを読者は認識させられます。
生身をえぐられるほどの鋭利な現実と、長い時間の経過がタテ・ヨコ・ナナメに何重にも絡み合い、終いにはぐるぐると廻ります。
糸が決して緩むことなく、常にピンと張り詰めた状態で「生」を必死で営んでいる登場人物たち。
作中では「生」と隣り合わせである「死」についても言及しています。
荒野氏が編んだリアルとバーチャルの間を、読者は幾度となく往復しながら向き合っていかなければなりません。

読後は何かがふっきれるほどの清々しい晴天になるのか、或いは荒天になるのか、それは読み手であるあなたの受けとめ方次第でありましょう。
「鬼」の底知れぬ恐ろしさを知りたいあなたに、是非読書の醍醐味を味わっていただきたいです。

節分には豆まきをして邪気を払いたいですね~(^O^)/
今夜も凛からあなたにおススメの一冊でした。(^-^)

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